ポイント

熊野古道・北郡越を動画で体感!

/ Virtualtrekking

住吉神社から御所平を経て北郡橋へと至る道は、眼下に迫る川、遥かに望む対岸の山々の美しさに息を呑む道、滝尻王子へ向かうまで美しい自然に癒やされ、歴史ロマン熊野古道を是非、歩いてみて下さい。

平均所要時間 約2時間30分
難易度 ☆☆☆☆


大塔熊野古道マップ

※クリックでMAPが拡大します。

花折地蔵(上富田町)

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昔は耳や目のお地蔵さんとして祀られていたものが、地元の人たちが花を手折って供えたことから「花折地蔵」とよばれています。写真左手に幅50cmほどの草の生い茂った細い道があり、「右くまの道」と記された石柱もあることから、これが往古の熊野古道といわれています。

平賀三郎国綱の墓

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大塔宮護良親王の側近として仕えた平質国綱は、宮の死後も再起を期して熊野にとどまったが、武運つたなくこの地で最後を迎えました。宮から拝領した刀は大塔宮剣神社(住吉神社に合祀)に蔵されています。

※現在崩土の為通行できません。

 

鮎川王子

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旧社地には鮎川王子碑と大塔宮剣神社が建てられています。往時はこの碑の付近に王子社があったと思われていますが、明治22年の洪水で旧社地の一部が流失しており、その後、道路の開通に伴い削り取られて、古の面影を残す部分がなくなりました。1874年に対岸の住吉神社に合祀されています。

住吉神社

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住吉神社は明治7年に鮎川王子が合祀されました。社殿の後ろには「おがたまの木」「ムクロジの大木」があり、特におがたまの木は天然記念物にも指定されています。明治の神社合祀時には近隣の小社を合祀しており、今も鮎川の産土神として崇められています。

御所平とお菓師さん

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【御所平】後白河法皇は、1191年までに30回余御幸されており「御所平」は後白河法皇の熊野詣での際の頓宮(仮の御殿)があった場所といわれている所です。
【お薬師さん】昔から耳の気になると、穴のあいた小石を供えてお参りしたという、「お薬師さん(薬師如来)」です。
 

藤原定家歌碑

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建仁元年(1201)後鳥羽天皇の熊野御幸にお供した定家は10月13日、田辺御所からその日の宿滝尻に向かいました。鮎川から滝尻までの道程を、美しいけれども「崔嵬(さいか)の険阻」と表現しています。その夜滝尻の歌会で詠んだのが碑にある「そめし秋をくれぬとたれか いはた河 またなみこゆる 山姫のそて」。ちなみに定家は歌会を辞した後「大門王子近くの水飲仮屋まで一気に駆けた」と、語り部さんは説明します。

道祖神と庚申塚

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道祖神は陰陽合体の道祖神で、さえの神と言われ、邪悪なものを遮り路の悪霊を除き旅人を守り、男女円満、縁結びの神として信仰されています。また、庚申塚は青面金剛で、病魔や病鬼を払い除くとされ、縄で縛ると失物が見つかると信じられて います。

大うなぎ生息地碑

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オオウナギは熱帯性のウナギで富田川は北限の生息地といわれ鮎川付近で1.7m、重さ28kgのオオウナギが保護された事があります。
 

新日二体庚申塔(中辺路町)

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「作神様」(手が何本もあって一 度に沢山のものを作れるから)・「福の神様」といわれています。庚申信仰は中国で信仰されてきた「道教」の教えから起こったもので、六十日あるいは六十年ごとに一度めぐってくる庚申のとき、特殊タブーを要求されるという信仰です。石塔の年号は享和元年(1801年)。

徳本上人碑(中辺路町)

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厳しい修行を行いながら全国を行脚し、庶民の苦難を救ったという江戸時代の念仏行者「徳本上人」を祀っています。

清姫の墓(中辺路町)

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清姫の墓の石碑には、「煩悩の焔も消えて今ここに眠りまします 清姫の魂」とご詠歌が刻まれています。横には薬師堂が建っています。
 

 

大塔観光協会からお願い

  • 歩行には十分お気を付け下さい。(特に降雨後は足元が滑りやすくなります)
  • 通行路にはロープを設置している場所もございますが、安全性をご確認の上、活用して下さい。
  • 登り口・分岐点には注意して下さい。複数での登山の場合は分岐点で後続を待ちましょう。
  • 坂道の途中ではなるべく止まらないで下さい。(休憩時は平坦な場所で止まりましょう)
  • 熊・スズメバチ・漆類等には注意しましょう。
  • 優れた美しい自然の風景地を保護していく為に、ゴミは持ち帰りましょう。

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